いきぬき或いはいきざま

オタクの話や日常のあれこれ

かっこよすぎてどうしようもないので

オチとか結論とかなくて、自分の頭で処理しきれないから書くんだけど、皆さんは自担がかっこよすぎて脳内キャパを超えた時、どうやって乗り切ってるのでしょうか。

 今年の27時間テレビの免許皆伝で居合いに挑戦した塚ちゃんはやばかった。ちっぽけな私は息を飲んでテレビの前にいた。この集中力を仕事で発揮しろよ、と自分に突っ込む隙すらなかった。真剣への恐怖と向き合い、自分に向き合い、師範に向き合い、上達しても油断せず、打ち克ち、最後まで鋭い本気の眼差しで挑んでいた。

A.B.C-Zの塚ちゃんは、私のかっこよすぎる自担です。

 

塚ちゃんのファンになったのは2014年の春頃なのだけれど、その時に初めて見るタイプのアイドルというか人類で、自分でも持ったことのなかった感情の連続で新鮮でたまらなかったのを覚えている。インドアなオタクとして人生を送っていた自分との共通点はもちろん皆無。あんなにフレンドリーなイメージの塚ちゃんだけど、私にとっては果てなく遠くて共感や目標の延長線上にすらいない、でも目が離せなくて彼が羽ばたく姿を眺めたい。そんな雲の上の存在だった(もちろん今も)。

「どこか好き?」というのは同担他担問わず、オタクの会話の中でしばしば出てくる質問で、同じ人物に対してもそれぞれ見え方が違うから面白いけれど、私の場合は「アクロバットと意外性のあるキャラクター、それとお洒落なところ」...という、近年塚ちゃんが見せてくれる魅力として非常にベーシックなポイントたちです。数々の才能や幅広い興味も掘り下げると止まらないけど、表に見せるパフォーマンスに全てが凝縮されると思うから、指先から表情までアイドルとしてステージで舞うのを観るのが好きで、しっかりした体幹を感じる度、心が安らぐ。特に好きなのは逆立ちして脚をぱたぱたさせる技(名称わからない)。何であんなに安定してるんだろうね。好きなところを1つだけ選ぶとしたら「体幹」になりそう。見てて幸せ。

テレビやステージでのパフォーマンスはものすごい身体能力と練習量がないと会得できないし、グラビアや映像から伝わるビジュアルのかっこよさも可愛さも、日々の積み重ねと人間性に裏付けされたものだけど、いつも努力の部分を超えてから届けられる作品を受けとることに慣れているから、ステージ以外の「努力の過程」から見せられると、びっくりしてしまう。先日の居合いは、かっこよすぎて心の強くない私はあんなに素敵だったのに、素敵だったからこそ、まだリピートすらできない。

SASUKEでも塚ちゃんの気持ちが剥き出しになる場面があるから、慣れてない私は「本当にこれを放送していいの?」という気持ちに毎年なる。

見たいか見たくないかで言えば、もちろん見たい。でも見なくても知ってたつもりだった。こういう面がなかったらあのパフォーマンスは生まれない。だけど当然何も知らなかった。私の想像力なぞでは輪郭の一部もなぞれない、次元を超えた美しさ。

オタクはただ、今日も自担に降伏しながら幸せを噛み締める。