いきぬき或いはいきざま

オタクの話や日常のあれこれ

自分にちょうどいいオタクバランスを模索している話

結果として私は、橋本良亮くんのサマーパラダイスに行けなかった。

理由は自分の時間と身体の管理不足としか言えなくて、数日は悲しみにくれていた。

頭では仕方なかったと思っている。母の入院時期と重なっていて、自分自身無理をしていてガタが来たのだ。他にも思い当たる節は多い。

でも、悲しいものは悲しい。公演を観られなかったことはもちろん、自分を過信していたから、生きるエネルギー源のはずの大好きなオタク活動に穴を空けるという失態もショックで受け入れがたかった。

どうしようもないことでも、人って絶望的な気持ちになれるものなんだなぁって変に感心しつつ、失恋てこんな感じだったかなぁとか気を紛らわしつつ。

 

そんな中、いつものようにTwitterを開くと、私は新たな発見をした。

他の人のレポを楽しむ脳と、自分がその場に行けなかったことを悲しむ脳は違うらしいのだ。

本日もえびちゃんは可愛い。素敵なステージだったようだ、よしよし。という気持ちと、何故私はそこに行けなかった-―-という悲しみ。

同じものを見て、種類の違う2通りの感情が自分のなかを行き交うのは、なかなか疲れた。

そんなに器用な頭ではない。自然と私はTwitterから遠ざかった。

 

ところで私が少し前に呟いていたツイート。

 

漠然と、今のスタイルを変えたいと思っていた。今、転機が来たかな?

Twitterは情報量も多いし、色々な人の想いに触れられて楽しいけれど、距離感が難しい。

社会みたいなもので、目に触れる内容を多少は自分で選べるけれど、望まない密度や強さで視界に入ってくるものもある。

いわゆる「SNS疲れ」みたいなものが私にも到来していたようだ。

これまでどうバランスを取っていたか?考えてみたら、私は高頻度でひとりの時間を持っている。

ひとりになって息抜きするべき時間に、自分以外の人の呟きが交錯するTwitterにいては、疲れてしまって当然だった。人に会いたいけど会えない時に向いているツールなのだった。

 

それで今、Twitterをする時間を減らしたままで、自分にあったオタクライフを改めて模索中である。

 現場の数も少し減らして、自分の時間と、家の時間と、他のオタごとの時間に充てよう。

 100人いたら100通りのオタクライフがある。