いきぬき或いはいきざま

オタクの話や日常のあれこれ

オタ卒のススメをしない

「オタ卒したい」

時々、オタクの友人の口や、インターネットの書き込みなどで耳や目にするワードである。

しかし私は一切それをオススメしない。

 

私は15歳からアラフォーになる現在まで、人生の半分以上を誰かしらのオタクをしながら生きている。しかしその間常にフルスロットルというではなかった。20代後半からの3~4年くらいだったろうか、オタ卒というか、非常にオタク濃度が薄く過ごしていた期間があった。

結婚前後だったり、家庭の事情だったり、仕事だったりで絶対的に時間と心の余裕がなくなったことと、応援していたバンドの解散があったり、アイドルとの物理的距離ができたりで、そもそも対象を応援し続ける状況がなくなっていったことが重なったのが原因だった。

 

誰だって生活の状況にあわせて、他に充実した日々を過ごせていたら、めちゃめちゃアクティブなオタク生活が出来なくなることもあるだろう。気持ちが離れる時期もあるかもしれない。私もその頃、珍しく身体を動かす趣味を持ったり、人と会ってご飯を食べに行く回数が増えたり、いわゆるリアルが充実していた。

だけどその頃私は知人が熱心に勧めて誘ってくれたある女性シンガーの公演を聴きにライブハウスを訪れた際、会場でふと、新しい音楽との出会いを楽しむ一方で、かつて熱い気持ちでライブ通いをしていたことを思い出して寂しくなった。何かのオタクをすることで心を充足させるスタイルで多感な青春時代も送ってしまったのだ。他の方法で充足するのは楽ではなかった。今思うとあの時期、生活がローテンションで物足りなかった。生活にハリを与えてくれてた核となる部分が消えたのだから、当然である。ローテンションな私は引っ越しなどで雑誌やCDなど数々のオタクグッズも処分してしまった。数年後にオタク復帰して後悔した。

だから私はオタク卒業を全くオススメしない。

 

いやいやでも時間ないし!余裕ないし!わかる。時間があっても他の趣味に挑戦してみたい気持ちが出てきてるんだから良いじゃないか。もちろん良い。早まるなかれ、ガッツリと同じペースでオタクでいろとは言わない。

「心の灯火は絶やすな」これだけである。それがあるときそっと、あなたを助けてくれるかも知れないのだ。

 

そう言われても分かりづらいので、私の考える「3つの灯火」を紹介する。3つ全て灯さなくても良い、1つか2つ、心に持っていると足元が頼もしいと私が感じていること。

 

1. ファンクラブは辞めない

ファンとアイドルやバンドなどのオタク対象との絆、それがファンクラブ。個人的にガチファンとライトファンの境はファンクラブに入ってるかどうかなのではと考えていることもあり、好きな気持ちが残っていて、会費を維持できる状況にあるなら、例え会報を受けとるだけの活用となっても退会せずにいたい。

どんなに現場から離れていても、活動を追えていなくても、ファンクラブ会員ならファンと名乗ったときの後ろめたさは軽減できるし、チケットの取りやすさや届く情報の速さから、いつでもガチオタ復帰しやすいという利点もある。

ちなみに私が応援している対象の半数はファンクラブがないので、そういう場合はブログやSNSのフォローを解除しないことなどで代替とする。

 

2. 今その人は素敵かなと気にする

同じ時代に好きなアイドルやバンドと生きていることって、すごい特権だと思う。リアルタイムのパワーってある。好きになったその人の今現在を、少しでもたまにでも享受すると、何かエネルギーが貰える。友達の楽しそうな姿をSNSで垣間見て自分も頑張ろうと思うように。多分、オタク活動が薄まると見逃すことも増えるから、たまに自分から気にして情報を取りに行く必要はあるけれど、好きになった人を検索して後悔したことは一度もない。

また、今後「自分のペースでファンでいる」ためにも、この過程では義務ではなくゆったりと対象を応援するスタイルも合わせて会得することができる。

 

3.宝物を持つ

力をもらった大好きな曲、見ると幸せになれる写真、心の支えになった言葉。

ふわっと好きな気持ちも素敵だけれど、明示的に大切な大好きなものを、宝物としていつでも引き出せる場所に持っておく。

何かあったとき、静かにその蓋を開ける。

信頼できる過去が作品となって持てることは幸せだと思う。

 

以上が、私がオタクを続けるための3つの灯火。必要になったり、余裕ができたりしたら、激しく燃やせるように絶え間なく灯す暖かな火。

オタクの定義は人それぞれ。自分の暮らしを豊かにするための自分に合ったオタクライフを探して行きたい。